印伝

Life with INDENstory vol.11

藤井 憲一郎Kenichiro Fujii山梨県北杜市在住
ネイチャーガイド

山梨県北杜市在住
ネイチャーガイド

山梨県北杜市在住
ネイチャーガイド

誰よりも自然を楽しむ
“I love me”精神。

「僕のモットーは”I love me”の精神。自分が誰よりも楽しむことで、誰かに伝わるものがあるはずだと信じていて」と語るのは藤井憲一郎さん。スノーシュー、カヤック、トレッキングといったアクティビティを通じて、自然の魅力を伝えることを生業とするネイチャーガイドです。藤井さんのアクティビティの特徴は、ユーモアを交えながら自然と向き合うということ。お客さんだけでなく自分自身も楽しもうとするアクティビティにはリピーターが多く、参加者には「ふじけんさん」の愛称で親しまれています。

そんな自然界のエンターテイナーは八ヶ岳南麓に位置する北杜市で暮らしていますが、北杜市といえば根強い人気を誇る移住の街。藤井さんも移住者の一人であり、山梨県のお隣である静岡県浜松市で生まれ育ちました。

「父の勤め先の保養所が信州の女神湖周辺にあって、幼い頃から八ヶ岳周辺に連れて来てもらっていたんですね。いま僕が案内しているアクティビティは比較的緩いものがメインですが、それらを選んだのは父親譲りなのかもしれません。父は山に登るよりも眺めるほうが好きでしたから」

藤井さんが自然にのめり込んだきっかけは、大学時代に登山愛好会に入ったことでした。北・南アルプスの縦走も経験しましたが、肌に合っていたのは低山のトレッキング。頂上を目指すよりも、ただ黙々と歩くことを楽しむ。そこから派生してヒッチハイクで日本一周したり、四国八十八ヶ所をお遍路したりと、好奇心は“旅”に向けられていきました。

「僕はホームページの運営からガイドまで自分一人で行なっていますが、このワンオペレーション体制は当時に培われたものなんです。つねに自分のことを誰かに発信したい、見てほしいという欲があって、四国をお遍路したときは弁当箱のようなノートパソコンを持ち歩いていましたから。その先々でホームページを更新しながら、お遍路の模様を伝えるということを繰り返していました。 “I love me”のルーツは当時にあるのかもしれませんね」

自然に癒されるのは当たり前。 エンターテインメントという付加価値を。

電脳装備のお遍路さんはさまざまなメディアで話題に。その模様を国内旅行代理店の社長が注目し、藤井さんと対面することになりました。藤井さんは自身の経験に基づくインターネットを活用した旅行PRをプレゼンテーション。それに対して社長から「インドに行ってみて同じことをやってみては?」とアドバイスを受けて、人生初となる海外旅行に繰り出しました。

帰国後に大学を卒業すると大手旅行会社に入社。ところが、今をときめく大手旅行代理店での社員生活はわずか2年ほどで幕を閉じることに。

「急成長中の企業で経験を積むよりも、自分の本能に従おうという気持ちが強くなって。山旅に出たい気持ちを抑えられなくて、上司に『山が僕を呼んでいるんです』と宣言して退職しました(苦笑)。そこから今に至る流浪の旅が始まったんです」

旅の目的地に選んだのは、幼少期から足を運んでいた信州エリアでした。まずは乗鞍高原のペンションで約1年間の居候生活。そこではじめて雪原を自由に闊歩できるスノーシューに魅了されました。程なくして八ヶ岳南麓での生活をスタート。自宅がありながらも雪原でテント生活していると、蓼科のペンションオーナーに声を掛けられたことがきっかけで、そこの宿泊客向けにネイチャーガイドを始めることに。以前のようにウェブサイトを作り、写真を撮ってはガイドの模様を発信するというサイクルを作っていきます。

「当時は冬に特化したネイチャーガイドをしていて、閑散期の夏にはいろいろなアルバイトで生活を凌いでいましたし、八ヶ岳ジャーナルという地元新聞社の記者と掛け持ちする時期もありました。夏のアクティビティが必要だとわかっていても、とりあえず何かを選べばよかったわけではなくて。四尾連湖をメインにしたカヤックを取り入れるまでに4,5年かかりましたが、お客さんに付加価値を与えられるものを模索していたんです。自然に触れて疲れを癒されるのは当然だから、僕にできるのはお客さんを楽しませること。僕と話すと楽しい、元気になれると言っていただけるのはエンターテイナー冥利に尽きますね」

大義を語る前に小義を語れ。 家庭というひとつの集合体を 大事にしたい。

流浪の民だった藤井青年は2008年に奥様と結婚。今では小学校1年生と2歳の息子たちを育てる立派な父親でもあります。2001年から転々と場所を移しながら八ヶ岳エリアでの生活を送ってきましたが、藤井さんはつねに自然と触れる毎日からどんな影響を受けてきたのでしょうか。

「八ヶ岳の自然風景は毎日見ていても飽きませんし、いつも子どもを送り迎えするときにこの山々に囲まれた景色に感動しています。でも、八ヶ岳はあくまでも生活と仕事の拠点という意識ですね。僕個人としては何事もバランスが重要だと考えていて、県外や海外に足を運ぶようにしています。海外ではサンティアゴ巡路を何度か踏破していて、そういうところからもやっぱり僕は旅が好きなんだなって」

さまざまなカタチで街と自然を行き来しながらも、この場所で家族と暮らしていきたい。それを死守するために、藤井さんは仕事のスタイルを柔軟に変化させているといいます。

「僕には『大義を語る前に小義を語れ』という哲学があって、何をするにしても家庭内が荒んでしまったら、元も子もないじゃないですか。その表れとして、子どもたちの成長にあわせて、早朝メインのアクティビティをお休みするようになりました。やっぱり家庭あってこその仕事というか。子どもたちを送迎したり、宿題を見てあげたりして、家庭というひとつの集合体を大事にしたいんですね」

ひょうたん柄の印伝は 自分の人生の映し鏡。

ネイチャーガイドを生業とする藤井さんと印伝。その間にある共通項は言うまでもなく自然です。アウトドアアクティビティを通じて自然の魅力を伝える藤井さんに対して、印伝は一つひとつの製品のモチーフを自然から着想を得ています。

実際に藤井さんは印伝の名刺入れを愛用。仕事柄、洋服も小物も高機能素材を用いたアウトドアブランドの製品を使うことが多いけれども、自分が山梨県で暮らしていることを表現できるものが欲しかった。その答えが印伝でした。

「春先になると都内でアウトドア関連の展示会に足を運ぶのですが、名刺交換用に名刺入れが必要になってくるんですね。名刺交換は仕事の入口ですし、TPOをわきまえたものを探していたんです」

藤井さんは物持ちが良く、高校時代に買ったBarbourのハンティングジャケットやL.L.Beanのビーンブーツをなんと20年以上も愛用しています。言い換えれば、色や風合いの経年変化を楽しめることもモノを選ぶうえでの判断基準なのです。

「10代後半の小僧がよく買いましたよ(笑)。Barbourのジャケットはボロボロだけど、2年に1度はイギリスに送ってメンテナンスしてもらっているんです。裏地はそのままで、表地の補正を繰り返していて。L.L.Beanのビーンブーツもソールを張り替えて履き続けています。機能優先でモノを選ぶことが多くなった今の時代に、印伝のようにこれからを楽しめるものと久々に出会えたのは嬉しいですね。名刺入れのひょうたん柄に子孫繁栄と商売繁盛の意味があることは後から知りましたが、さらに印伝への思い入れが強くなりました。流浪の民だった僕がネイチャーガイドという生業と山梨という定住の場所を見つけて、家庭を築くことができた。今までの歩みを振り返ると、ひょうたん柄の印伝は僕の人生の映し鏡なのかもしれない」

藤井 憲一郎Kenichiro Fujii

ひといき荘アウトドアサービス代表。「ちょっと”ひといき”しよう」をテーマに、春からに秋にかけては四尾連湖(山梨県市川三郷町)でのレイクカヤックプログラム、冬は八ヶ岳北麓(蓼科)でのスノーシュートレッキングを日々開催。初心者から熟練者まで楽しめる安心安全なフィールド&海外トレッキングを展開している。ユニークなキャラクターと丁寧なコミュニケーションで多くの参加者の心を掴み、アクティビティにはリピーターが絶えない。

HITOIKI
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