印伝

Life with INDENstory vol.14

ルーカス B.B.Lucas B.B.東京・静岡県焼津市在住
ディレクター・編集者

東京・静岡県焼津市在住
ディレクター・編集者

東京・静岡県焼津市在住
ディレクター・編集者

多種多様な文化が共存する 島国・日本に魅せられて

雑誌『PAPERSKY』の発行人であり編集者のルーカス B.B.さんは、大学を卒業した翌日にバックパック一つで来日し、以降30年以上にわたり日本で暮らし続けている。47都道府県すべてを探訪し、日本が大好きだと笑顔を見せる。雑誌をつくるようにフェスなどの場をプロデュースしたり、「PAPERSKY Tour de Nippon(ツール・ド・ニッポン)」と題して自転車での旅を企画・提案したり、旅に最適なグッズ「PAPERSKY TOOLS」やアパレル「PAPERSKY WEAR」のディレクション、さらに近年は日本の旧街道に倣い、新しい街道をつくり、 歩く旅を提案したりと、その編集手腕は紙のみに留まらない。
「日本の人には失礼かもしれませんが 、日本はとても小さい。けれど東西南北の幅が広く、多種多様な文化がある。そして甘いものが大好きな僕にとっては、どこへ行っても美味しいおやつがあることも魅力。他にそんな国は世界中どこにもない」と日本に惹かれた理由を語るルーカスさんも、印伝を愛用する一人だ。
ルーカスさんはいかにして日本に魅せられ、旅を続けているのか。東京と静岡県焼津市の2拠点を行き来しつつ旅をするルーカスさんが焼津市で暮らす家を訪ね、お気に入りの場所を案内してもらいながら話を伺った。

2週間の旅のつもりが、 気づいたら30年以上に

1993年にバックパック一つで来日したルーカスさんは、日本のことをほとんど知らずに初めての海外旅行先として日本への一人旅を選んだと言う。「2週間の旅のつもりが、気づいたら30年以上になっちゃった」と笑うが、なぜ日本を旅先として選んだのだろうか。
「大学では、歴史や政治、アートなどいろんな角度からアメリカを紐解いていくアメリカ文化学を勉強していた。その他に、趣味で小学生の頃から続けていた学級新聞や雑誌づくりと、ダンスや演劇のコスチュームデザインもしていて。雑誌をつくるのが好きだったから、サンフランシスコにある紀伊國屋書店で日本の雑誌をめっちゃ読んでいた。当時はISSEY MIYAKE、Comme des Garçons、Yohji Yamamotoなどの日本のブランドもすごく新鮮に映っていて、この国はファッションも写真もグラフィックもすべてにおいて興味深くて、日本に行ってみたいと思ったんだ」
大学時代に知り合った日本人の友人を頼りに来日を果たしたが、当時は日本語も話せず、行きたい場所すらわからなかった。すると友人が「うちに来る?」と言ってくれ、友人一家が5人で暮らす家を訪ねると、家族は驚いていたと言う。
「まだ外国人が少ない時代で、彼は家族に僕のことを一言も話していなかったから。パニックになっていたけど、一緒にごはんを食べて、『お風呂どうぞ』と言ってくれた。大阪から来た一家で、僕はそのとき大阪すらもわからなかったけど、お父さんは競馬と阪神タイガースとビールが好きな大阪人で、その印象が強烈だった」
その後しばらく友人宅にお世話になったルーカスさんは、家族と親交を深めていった。今でも一家とは付き合いがあるという。

雑誌づくりに夢中になっていた日々を思い出す

友人家族の家に居候しながら、アメリカに帰る理由が見つからなくなった。 「安全だし、食も美味しいし、人も優しい。こっちの方がいいじゃんって思って」 そんなある日、友人の兄が仕事探しの雑誌を持ってきてくれた。ルーカスさんは新聞を買い仕事情報を探して何件か面接に行き、子どもに英語を教える職についた。1年ほど続けたあと、元々書くことが好きだった自身の特性を活かし、フリーランスのライターとして活動することになる。当時東京にあったアメリカの雑誌の編集部などから仕事を請け負っていたが、次第に日本についてのメディアが少ないことに気づく。 「当時の日本は多くの人が 欧米ばかりを見ていた。だから日本についてのメディアがあまりないなと思って。特に僕と同世代の若い人に向けたものがなかったし、日本の文化の素晴らしさに気づいてない人が多かった。

そんなとき、アメリカの同級生から『ルーカスは何で自分の雑誌をつくらないの?』と言われて、そういえばそうだ、僕はずっと雑誌をつくっていたんだと思い出して。そうして始めたのが『TOKION』という雑誌」 1996年に創刊した『TOKION』は「時の音」からネーミングした。その時々に刺激を受けた日本のカルチャーシーンを中心に、ルーカスさんの視点で伝えるカルチャー誌だ。企画の斬新さが話題となり、今でも伝説の雑誌として業界内ではよく知られる存在である。その後、子どもが生まれる友人が周りに増えたことで、子どもたちの未来を考えるように。2000年、家族向けのライフスタイル誌『mammoth』(マンモス)を創刊以降、親子で学べるスクールや野外フェスティバルもプロデュースしている。

旧街道との出会い

そして2002年、トラベル・ライフスタイル誌『PAPERSKY』を創刊。現在は年に2回の雑誌の発行を続けるほか、グッズやアパレルのディレクションをはじめとする、雑誌から派生したプロジェクトがいくつも進行中。雑誌は英語版と中国語版も発行し、海外の旅行客にも注目されている。
中でも近年力を入れているのが、日本の旧街道のような新しい街道をつくり、徒歩や自転車で日本各地を旅する提案だ。妻でありビジネスパートナーでもある香織さんの実家が焼津市にあり、2000年頃から盆や正月の時期は必ず訪れていた。あるとき、香織さんに「東京から歩いて焼津まで行ってみない?」と提案するが、反対される。そんな話を友人にしたところ、静岡県には東海道という街道があり、昔は日本人が歩いて往来していたこと、そして「弥次さん喜多さん」が登場する滑稽本『東海道中膝栗毛』の存在を教えてくれた。
「教えてもらった話をしながら翌年もう一度香織に提案したんだ。すると『面白いかもね』と言ってくれて、初めて歩いて焼津を目指した。想像以上に楽しくて、僕はそのまま終着地の京都まで行っちゃった。自然もあり街もあり、美味しいおやつもあって、たくさんの人たちと出会いながら歴史のエピソードも知れる。日本は安全だから、宿までたどり着けないとか、危険なエリアもないから安心して歩くことができる。これは楽しいと思って、他の街道を探したり、周りに聞いてみると、塩の道、鯖街道、鰤街道など古くからのユニークな街道がたくさんあることを知ったんだ」
そうして15年ほどかけてあちこちの旧街道を歩き尽くしたルーカスさんは、自ら新しい街道をつくろうと動き出す。

歩くことは学ぶこと

時は東京でオリンピックが開催予定だった2020年。点在する樹齢の長い樹木をつなぎ、街の中心に向かって渦を描くように考えた約60kmのトレイル「TOKYO TREE TREK」を編み出した。 「オリンピックで海外からの人が多くなるであろうタイミングで、並んでいる本は買い物スポットや飲食店が多く載っているものばかり。せっかく来るなら、違う一面もある東京を見せたくて考えた道のり。新街道をつくっている人たちはいないから、コンセプトとしても面白いだろうと思って。結局オリンピックには観光客は来られなかったけれど、コロナ禍で閉じこもっていた人たちが歩いてくれて、『ありがとう』というメッセージをたくさんもらった。つくって本当によかったよね」 歩く中で出会った人たちと対話を重ね、雑誌を編む感覚で新街道までつくり上げたルーカスさんが現在注力して発信するのは、焼津市を起点とする約200kmのカツオトレイルだ。

「3年ほど前から、香織の実家である焼津の家を改装して、東京との2拠点で暮らし始めた。焼津は駿河湾に面していて、日本有数の水揚げ量を誇る漁港があり、僕が尊敬する小泉八雲も夏に訪れていた街。海もあり山もあり、静岡ならではの多様な文化と歴史に触れることができる。歩くことで大きな学びを得られることを伝えたくて、『トレイル・ラーニング』という言葉を教育学者の田口康大さんと掲げて、今年から少しずつ動き始めている。歩くことで内面的な学びもあるし、一緒に歩く人からも得られるものがあって、人によって得る学びが異なる。そして毎日25kmほどを歩くので、身体性も鍛えられていく。マインドとボディが合わさって、トレイルにより価値が付いていくと思う」

使う人によって味が出て、 自分のものになっていく

「焼津は、東京と比べると空気が澄んでいて、時間の流れがゆったり感じられる」とルーカスさんは話す。東京ではすることのない昼寝を、畳の上に寝転がって取る時間が至福のようだ。焼津の家では、香織さんの95歳の祖母とともに暮らし、夕日を一緒に眺めたり、他愛もない話をして心を通わせている。
取材日の前日、我々一行はルーカスさんがよく足を運ぶという磯料理の店「舟小屋」へ連れて行ってもらった。本記事の取材中だと女将さんに伝えると、「私も印伝をずっと使っていますよ。この辺りの人は愛好者が多いんです」と話し、わざわざ自宅までご自身の印伝コレクションを取りに帰ってくれた。コレクションを見せてもらいながら、ルーカスさんと会話が弾んだ。
「印伝の名刺入れを出すと、お互いに『印伝だね』と話が盛り上がるし、同じ模様を使っている人がいるとさらに盛り上がる。そういう仲間意識が芽生えるものってある。でもそれは、ハイブランドだから盛り上がるかというとそうではないよね。印伝だから起こることだと思うんだ」
ルーカスさんが印伝を使うようになったきっかけは、夫妻の結婚式を執り行った神主さんだと言う。山梨在住の神主さんと親交が深まり、何度も山梨へ足を運ぶうちに印伝と出会い、現在4代目の名刺入れを愛用している。
「ずっと使っているから、漆がどんどん抜けて星空のようになっていく。星があまりなくなったら次の印伝を買う。道具感があるところが好きで、デザインのためのデザインではなく、機能のためのデザイン美がある。使っていくと、それぞれの味が出てきて自分のものになるところがすごくいい」
ルーカスさんは、旅を続ける中で心惹かれる日本のものに多く出会ってきた。それらに共通するのは、古くから人々に親しまれているものだ。ひと・もの・場所など受け継がれてきた歴史に敬意を払い、新しい解釈で物事を編んでいく。「自分一人では何もできないけれど、面白い人に出会うから世界が広がっていく」と語るルーカスさんの旅はこれからも続いていく。

ルーカス B.B.Lucas B.B.

1971年アメリカ・ボルティモア生まれ、サンフランシスコ育ち。1993年に来日し、1996年にニーハイメディア・ジャパンを設立する。カルチャー誌『TOKION』、家族向けのライフスタイル誌『mammoth』、トラベル・ライフスタイル誌『PAPERSKY』を立ち上げたほか、複数のメディアや企業などの企画・編集・制作に携わる。自転車で巡る日本再発見の旅プロジェクト「PAPERSKY Tour de Nippon」や、オリジナルのアパレル・雑貨ブランド「PAPERSKY WEAR」「PAPERSKY TOOLS」の企画、TOKYO TREE TREKやカツオトレイルなどの新しいトレイルづくりなど、メディアを多角的に捉えた編集を続けている。近著に田口康大と共同編集した『TRAIL LEARNING 未知を拓く冒険「歩く」』がある。

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