印傳屋 / INDEN-YA

印傳屋「第77回 正倉院展」協賛記念プロジェクトのメンバーに聞く

プロジェクトメンバー:製造管理部 内藤良太 / デザイナー 麻場範子 / 伝統工芸士 戸澤武士 / 伝統工芸士 大森幹雄 / 伝統工芸士 神宮寺秀哉

印傳屋が正倉院展への協賛を始めたのは2023年度。2024年度には正倉院の宝物から着想を得た印伝をつくる協賛記念プロジェクトをスタートさせ、この2025年度は第2回目のプロジェクトとなります。今回はどのような天平の美を印伝で表現したのか、どのような想いで挑んでいったのか、開発・製作に関わったプロジェクトメンバーに話を聞きました。

螺鈿の美しさを
印伝で表現してみたい。

螺鈿の美しさを
印伝で表現してみたい。

2025年も正倉院展への協賛を継続する。社内でその決定がなされたのは、2024年11月のこと。前年もプロジェクトを主導した製造管理部の内藤良太は、すぐに動き出します。まずは印伝で表現したい宝物を選定すること。正倉院のホームページで公開している1400点を超える宝物のすべてを、内藤はチェックしていきました。

「どれも華麗で繊細です。中には1300年前の装飾なのに今見ても古さを感じさせないものがたくさんあります。現代の暮らしの中にあっても何ら違和感ない、そう思えるデザインを今回は選びました。」

螺鈿箱(らでんのはこ)

そうして選んだ宝物の候補は最終的に3つに絞られ、社内で検討会が開かれました。プロジェクトメンバーが印伝にしたいと選んだのは「螺鈿箱らでんのはこ」の文様でした。

「螺鈿」とは、夜光貝など虹のような色彩の殻を漆器などにはめて装飾する技法で、中国は唐代に発達し、奈良時代に日本に伝わったとされています。正倉院に納められた「螺鈿箱」は「紺玉帯こんぎょくのおび」を納めた容器で、檜の木地全体に黒漆が塗られ、表面と側面に華やかな螺鈿の花文が配されています。それぞれの花芯には水晶がはめ込まれ、蓋の中央の花弁は金の平脱で加飾されたたいへん華麗なものです。正倉院の宝物で螺鈿を使用したものは多くありますが、黒漆の地に螺鈿が施されたものはこれを含めて2点のみで、日本においてはこれが最古級のものとされています。しかもほとんど傷つくことなく当時のままの輝きを完全に保った状態であることに、プロジェクトメンバーは魅せられていました。

「螺鈿箱の美しさはかなり魅力的で、みんなやりがいを感じていました。実は40年ほど前にレイパル(印傳博物館蔵)とよばれた螺鈿の印伝を製作したことがあって。その時は夜光貝を砕いた細片を、漆を置いた上に振りかけたらしいのです。本物の貝を使ったので特有のきらめきが出せる一方、質感にはあまり納得していなかったと聞いています。螺鈿のように見える印伝を我々の持つ現代の技でいかにしてつくるか。きっと1300年前も、海を渡ってきた螺鈿を初めて目にした日本の匠が、なんとかその技を修得しようと挑戦して極めていったと思うんです。そうした古の匠の挑戦心に敬意をこめて、私たちも螺鈿の文様に見えるように、今の技術や材料を使って挑戦させていただこう。そう決意しました」

左:デザイナー 麻場範子 / 右:製造管理部 内藤良太

ひらめきを呼んだのは、
記憶にあったパール顔料の光。

ひらめきを呼んだのは、
記憶にあったパール顔料の光。

光の加減で虹のようなさまざまな表情を見せる螺鈿。これをいかに印伝で表現するか。宝物の色が多色に見えると、文様のどの部分を漆にして、どの部分を更紗の顔料2色に分けるのか悩むところですが、そこは長年にわたって数多くのパターンを生み出してきたデザイナーの麻場範子の感覚に頼り変換していきます。「色分けは現代らしくビビッドな配色のパターンをいくつか作りましたが、やはり宝物に近いイメージにすることが正道だろうと。宝物の資料をみて、緑のように見えるところとオレンジのように見えるところが見てとれたので、これを色彩の軸として更紗の顔料2色に、質感と光を補う漆1色に分けました。今回、更紗では4つのアイテムを製作しますが、試作品をつくるなかでそれぞれのサイズに応じて商品が一番きれいに見えるデザインにしようと、すべて模様の縮尺を変えるようにしました」

これと同時並行で、更紗の職人・戸澤武士は、均一に見えない複雑な色合いの2色の顔料をつくるという難題に挑んでいました。一斤染いっこんぞめ(ピンクオレンジ系)と白群びゃくぐん(ブルーグリーン系)という色彩の軸は決まっていましたが、色合いを薄めたりしてもなかなか螺鈿のようには見えてきません。「顔料の色の濃度をいくら抑えてもマットな感じになってしまって、色の主張がどうしても強く見えてしまうんです」

そこで戸澤は、過去に「しらべ」というシリーズ作品でパール顔料を扱ったことを思い出します。「パール顔料は通常の顔料より光を反射するので、色の主張を抑えられると思いました。試してみると色がぼやけて、夜光貝のようなきらめきも出てくる。この線ならいけると確信が持てました。こうして加えるパール顔料の加減や2色の顔料の濃さの微調整をいくつも試していきます。ただ、目指す色が台上でつくれたとしても、実際に革に乗せてみないと具合はわかりません。しかも顔料を塗った直後は判別できず、一日おいて乾かしてみないと本当の色が見えてこないのです。これが2色あり、組み合わせによっても微妙に印象が違って見えるので、顔料づくりにはかなり時間がかかりました」

試行錯誤を幾度も重ね、試したパターンの数も数えられなくなってきた頃、遂に螺鈿のイメージに近い色合いの顔料をつくることに成功します。

伝統工芸士 戸澤武士

螺鈿らしさを重ねる
艶めきの白漆。

螺鈿らしさを重ねる
艶めきの白漆。

「螺鈿箱」の花文は2色の顔料だけでなく、もう1色、白の漆を付けて完成となります。戸澤が苦労して更紗の型紙を重ねた鹿革を前にし、漆付けの職人・大森幹雄は冷静でありながらも、気持ちの端に緊張を感じていたといいます。「更紗の色合いで難儀していたのは間近で見てきましたから。型紙をしっかり合わせて一つひとつ注意深く漆付けしました」

一斤染いっこんぞめ白群びゃくぐんで彩られた花弁の合間に、艶やかな白漆が盛られていく。これにより花文に立体感が生まれるほか、パール顔料の細やかで柔らかな光と漆特有の艶めきが相まって、模様全体で見ると螺鈿のようなきらめきが感じられるようになりました。

*茶色に見える部分が白漆です。白漆は漆付けした当初は茶色に見えますが、時とともに白さが増していきます。

「正倉院に納められた螺鈿箱は檜でつくられ、全体に黒漆が塗られているそうです。螺鈿の細工や水晶をはめ込む接着にも漆が使われたでしょう。正倉院の宝物に見られるように、古からこの国の美術工芸に漆は使われていて、いまこうして革工芸の印伝で漆を使っている。果てしなく永い間、文化の流れの中に漆とそれを使いこなす技が生きてきたんだと、仕上がりを見たときにふと思いました。こういう文化が日本に受け継がれていることを、この印伝を手にされた方に感じていただけたら嬉しいです」

伝統工芸士 大森幹雄

燻の薫りの中に、
天平の美を感じていただけたら。

燻の薫りの中に、
天平の美を感じていただけたら。

正倉院のいくつかの宝物は、燻しによる加工や着色がなされていたと考えられています。1300年前の奈良時代にその技法を磨いていった匠たちに敬意をこめて、印傳屋に受け継がれるふすべの技法による螺鈿箱の文様の印伝づくりにも挑戦しました。

燻の工程は、まず焼き擦りした鹿革に模様の部分を糊で防染します。これをタイコに貼り付け、稲藁の煙をあてて燻していきます。この技ができるのは、印傳屋でただ一人の燻職人・神宮寺秀哉。かまどから上る煙の出具合を見ながらタイコを回転させ、左右に移動させながら革にまんべんなく煙をあてていく。長年養われた感覚でこれを繰り返すこと一日半。さらに一日寝かせたあとは仕上げの糊掻き。防染した糊をヘラで掻くと、白い模様が浮かび上がります。

伝統工芸士 神宮寺秀哉

「防染の糊付けも燻べる工程もすべて手で行うので、長い経験があってもその時々の湿度や温度、革の個体差などでどうしても鹿革に色ムラが出ることはあります。それはどんな模様でも同じで、常に一つひとつをしっかり仕上げることで正直頭はいっぱいです。ただ、今回は奈良時代のデザインを、現代に受け継がれた技を使って表現するのだと思ったら、ちょっと気持ちが引き締まりましたね。1300年前の匠への畏敬の念をもって一つひとつ心をこめていきました。燻の印伝を手にされた方が、この薫りの中に天平の美を感じていただけたら。そう願っています」

糊掻き

かつてない挑戦は
印伝の新たな伝統に。

かつてない挑戦は
印伝の新たな伝統に。

今回、企画開発からおよそ7ヶ月かかって完成品ができあがりました。仕上がりをあらためて見て、プロジェクトリーダーの内藤は何を思っているのでしょう。

「いいものができたと思っています。私たちがこの宝物を初めて見たときに感じた“いいな”という思いを、今回の印伝を手にとってくださったお客様にも同じように感じていただけたら何よりも嬉しいです」

そして、螺鈿箱の文様を印伝で表現しようと決めた最初の会議のことを振り返ります。「正倉院の宝物の素晴らしい匠の技に憧れ、少しでも現代の我々の技で近づきたいと願ったことから、新たな発想や工夫ができました。この経験は今後、印伝のヒントになるかもしれません」